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zoom RSS No.11 神様にうそをついてる

<<   作成日時 : 2010/10/28 15:41   >>

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こういうのは神様にうそをついているのと同じだと思うんです。

形は神様にお願いしていても、心は半分、義務的にしかたなくやってるみたいな思いを持っているとしたら。







以前、車屋さんと話をしていて、お祓い等の儀式に立ち会ったという話を聞きました。

あるときには、冬の寒い中、白装束で水をかぶるということもあったとか。

そして、車の所有者とその家族、販売者、メーカー代表、が神様に玉串を捧げたというようなことです。

へー。

別に宗教儀式の形態にけちをつけるつもりはないのですが、本当に意味を成しているのかしらという考えが頭をよぎったのです。

お祓いは、車の何か悪いところを取り除くのではなく、所有者などの心の中の「悪」を取り除くと考えるとよいとおもいます。

ところが、「お祓いをしてもらう」という場合、だいたい余計な憑き物を取りのぞいてもらう、神主の力で神様のエネルギーを車に注入してもらい悪霊から守ってもらう、そういういわば‘霊的コーティング’は神職の仕事、っていうような感覚がないでしょうか?

お祓いを形だけしたところで、これまでに神様のお世話になったことを知らずいては意味がないと思うのです。

言い換えれば、お祓いは「してもらう」というお任せ感覚ではおかしいのです。


新車購入に至るまで、健康で過ごせ、
支払い準備もできるほど、仕事や家庭経済の上で都合よくいき、
家族にも新車購入について理解され、
車の販売店のいろいろな配慮をいただき、
メーカーも無事安全に品質のよい車を生産してもらい、
登録や保険の手続きにも何人もの方にお世話になり、
前の車に何年もお世話になり、大きな事故もなくまだ乗れるのではないかと思えるほど維持管理できた状態で買い換えることとなった
というようなことを思い返し、心の底からお礼が言えているでしょうか。


これから運転に慣れていない新しい車を使用するに当たり、無事故無違反で交通マナーを守り安全運転を願うのですが、お礼の気持ちを忘れずに、運転者としての責任を自覚しながら運転させていただきたい。

他の車の交通安全や歩行者等の安全も祈りながら運転させていただきたい。

同乗者の安全を祈りながら運転させていただきたい。

そういう誓いの意味でのお願いが心の底からできているのでしょうか。


こういったことができないで、形だけお祓いをし、何かあったら、相手のせい、車のせい、メーカーのせい、車に何か憑いていたかのような不平を言います。

ましてや、「あそこでお祓いしたのが間違いやったわ」って、お祓いを願ったところの祈祷力が不足していたせいにまでします。

これでは、神様はお嘆きになるでしょうね。


心の有り様によっては、姿・形だけは有り難そうにしていても、それは神様にうそをついているようなものだと思うのです。

このように、「神様にうそをついて神様を都合の良い時だけ利用する」のでは、なんだか申し訳ない思いが湧いてきます。





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