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zoom RSS No.101「えんがわ」ってなに?

<<   作成日時 : 2017/09/10 15:17  

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テレビ番組のインタビューで10代の女子が

「縁側って知ってますか?」と聞かれて

「お寿司!」と答えていました。

これには驚いたし、笑ってしまいました。


和風建築で昔よくあったが

現在の建物にあまり見られない、あの場所を指す「縁側」という言葉は知らないらしいのです。


でも考えてみればもっともなことだろうなあと思うんです。

わが家には昔の建物にはありましたが、

現在の建物には縁側はありません。

世の中の多くの人は縁側のない家に住んでいるかもしれませんね。

マンションやアパート暮らしならなおさら縁のない話だろうね。


私は、縁側を見たことがあります。

だから、現在は見なくなったと言え、縁側と聞けば縁側を思い浮かべることができます。

私より若い世代になってくると、

もしかすると縁側を見たことがないと言っても不思議ではありません。

でも、テレビやネットや書物などで知る機会があったのか、

実物を見たことがなくても知っている人は多いですよね。

でも、冒頭のインタビューを受けた女子のように、

いずれかは時代が進めば、縁側を知る人はほとんどいなくなるでしょうし、

建築の世界の専門用語としてのみ残り、

一般生活においては死語となることでしょう。

言い伝えなければ、

「縁側」という言葉を使っても誰もそれを具体的にイメージできないということです。



「縁側」が死語になるとしても、

私にとってはもっと大事なものを死語にしたくないとテレビを見たあと思いました。

「信心」や「神様」です。

神様は誰も見たことがないので、

言い伝えていかなければ私のイメージする神様の他の人にはイメージが持てません。

信心している人が信心に縁のない人に伝えなければ、

信心の世界は分からないままになってしまうと思いました。


しかしですよ、

「縁側」がいずれ死語になるかもしれないということと同じように

「信心」や「神様」は死語になるでしょうか。

縁側は目に見える実物がなければ出会うことができないために過去のものになってしまいますが、

「信心」や「神様」は目に見えないものですが、

きっかけさえあればいつでもだれでも出会うことができるという点において縁側とは違うと思うんです。

見えない金光様の働きによって、信心の世界に誘われるし、神様とは心さえ向けば出会うことができます。

そう。

言い伝えなければいけないものですが、

いつからでも

どこからでも

始められるのが信心であり、存在を感ずることができるのが神様です。

キーは、

「金光様」と心に唱えながらその信心の素晴らしさを知る者が日々を送って行くこと、

神様の願いを感じつつ自分の役目を果たすこと、

それに限ると「縁側」の話をテレビを見ながら思いました。



縁側に縁のない人はどう思うでしょうか?





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